結婚相談所から生まれる恋愛

結婚は身体がするものである。恋愛における身体と結婚における身体とでは求められるものが異なるのは、恋愛にはプラトニック・ラブというものがあっても、結婚の場合にはないことからも分かる。

「できちゃった婚」について、男性側の母親から小声で告げられたことがある。「女性が子どもを産める身体だと分かるから、できちゃった婚の方が都合がいいこともあるのよ」

結婚前の妊娠をふしだらであるという因襲的な見方はせず、事前に妊娠テストにパスした嫁を迎える方が合理的だと考える親たちが台頭しているのである。

そういえば、昔は女性が男性の家に嫁いで来ても、子どもが生まれてはじめて入籍することも珍しくはなかった。男性側の親と家にとって、息子の結婚は孫(子孫)を産んでくれる女性の選別であった。

にんよう男性の家にとっては、女性の妊苧性こそが結婚の最大の才能なのかもしれない。結婚してから、「子どもはまだ?」「いつ孫の顔を見せてくれるの?」と姑が悪気なくであっても言うのは、不妊女性にとって一番つらい詮索である。

不妊が外部から持ち込まれた「家の問題」であると考える姑は今も日本中に数多く存在する。

だから、結婚しても子どもが生まれない場合、女性の方がまず病院に検査に行かされる。そこで「不妊症」と診断された時、あまりのショックで病院から家に帰った経路を覚えていないという人がいた。

自分の身体にそういう「病気」があると告げられると、「結婚H出産」という図式を自明のものとして内面化していた女性が受ける衝撃には図り知れないものがあるのだ。

「不妊症」を自ら「中途障害者」と命名した女性がいた。結婚するまで「不妊症」であることなど想像もしなかったので、自分が「完全な結婚」のできない「障害」のある身体を持った事実をどう受け入れていけばいいのか分からなくなる。女性は、夫と結婚していたのではなく、夫によって作る「家族」という幻想と結婚していたのである。

もちろん、子どもがいなくても結婚は完全なものであると考える人はいる。そういう人にとっては、女性が原因の「女性不妊」であれ、男性が原因の「男性不妊」であれ、あるいは「原因不明」であれ、それを受け入れる素地はできている。「子どもができなければ、それはそれでいい」と考える人は、夫婦と親、特に夫の親との聞に自ずと距離を設けている。

「事実婚」というのは、そういう親の詮索から自由でいられる方策の一つである。しかし、その場合、結婚の単位はあくまで夫婦のみとなるので、そこに「事実婚」のパラドクスが生じる。結婚を制度としては批判しながら、夫婦聞に恋愛の実質が存在することを確認しこだわなければならない。「事実婚」は、最も「夫婦の一体感」に拘る夫婦なのである。

結婚相談所で恋愛結婚

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です